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日本の『戦争謝罪』必要派と不要派の考え方の違い。そして不要派に物申す

      2015/07/20

先日、安倍首相が行った米演説について「謝罪が無い」と波紋を広げている。ビジネスジャーナルの記事によると「日本は戦争について十分な謝罪をしたか?」というアメリカでの質問について、「十分な謝罪をした」が37%、「そもそも謝罪の必要は無い」が24%という結果になっている。この数字をあなたはどう思っただろうか?

アメリカで意見が二分するということは当然日本でも同じことが起こる。では一体、「謝罪をすべきだ」という人と「謝罪をすべきでない」という人、それぞれどう考えているのか?考え方の違いをまとめてみようと思う。

戦争謝罪『必要』派の意見

必要派の意見はとてもシンプルだ。

日本は戦争で多くの人を殺したわけだ。つまり悪い事をしたのだから謝罪するのは当然と言う意見。戦争という悲劇を繰り返さない為にも謝罪し反省することは何よりも重要だと考える。ちなみに私も必要派だ。

悪いことをしたら謝る、そう家庭や学校で大半の人が教わったはずだ。だから多くの人がこちらの意見になるだろう。

戦争謝罪『不要』派の意見

不要派は「止むを得ない戦争だった」と日本の戦争の正当化が基本的な考えだ。

当時の悲惨な環境下で日本を守る為には仕方の無い選択だったのだろう。この意見も理解できる。

しかし、その一方で想像力が欠けていると感じる。これについては最後に書く。

謝罪は『一度で十分』派の意見

おそらく日本で最も多いと考えられるのがこの意見だと思う。

「日本は過去に謝罪したし賠償もした。だからそれ以上のことはする理由は無い」という意見が多くを占めるはずだ。しかし、私はこの意見には共感できない。なぜなら、『罪の重さ』という概念があるからだ。

『罪の重さ』は一定ではないことは誰もが知っているはずだ。例えば、「万引き」と「殺人」では量刑が全然違う。第二次世界大戦の犠牲者は全世界で5000万~8000万人とも言われているように、一度謝罪し賠償したぐらいでは許されるものではないのだ。

言わせてもらうが、「謝罪は一度で十分」と言っている人は、戦争被害を軽視しているとしか思えない。ましてや「何度も謝ってるのに許してもらえないなら撤回する」といって逆ギレするのは論外だ。謝罪は許してもらう為にするものではない。誠意を示す為にあるのだ。

アメリカは戦争を反省していない。なぜなら・・・

日本は戦後これまで平和主義を貫いてきたわけだ。だから謝罪は無くても態度で反省を示したと思う。しかし、アメリカは違う。反省しているなら次々と戦争を起すわけがないのだ。

戦争をする国としない国の差は、戦争に対する反省があるかないかの違いだ。反省すれば行動が謙虚になり敵を作りにくくなるわけだ。アメリカにはそれが無い(もちろん統計から見てアメリカ国民の半数以上が戦争を反省しているとは思うが)。

今、反省したはずの日本が道を踏み誤ろうとしている。「アメリカと協力して地球規模で自衛隊を活躍させる」と安倍首相が言ったわけだ。これは戦争を反省していないアメリカに手を貸すということだ。一体、反省とはなんなのだろうか。自衛隊を派遣するのは警察を派遣して犯罪者を捕まえるのとはワケが違う。

これでも「謝罪の必要はない」と戦争を正当化できるだろうか?

「謝罪は不要だ」と戦争を正当化する人は想像力に欠けていると思う。

一般的に「謝罪は不要」と主張する人は軍(国家)目線で物事を考えている。だから、軍や国に不利益が被らないように戦争を正当化するわけだ。

しかし、自分の目の前で家族や友人が次々殺されていく様、原爆で虫ケラのように人が死んでいく様を想像してみて欲しい。そして、アメリカが「我々に正義がある。原爆は戦争を早期に終わらせる為必要だった」と正当化するのだ。

それを聞いて「仕方ないよね」で済ませられる人がいるのだろうか?家族も友人も皆殺され、自分自身も原爆の後遺症で死ぬまで苦痛を味わうことになっても「仕方ない」で済ませられるのか?戦争を正当化するということはそういうことなのだ。

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