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佐野研二郎葬式パフォーマンスの二面性

   

五輪エンブレムの盗作騒動で問題になっていた佐野研二郎氏の葬式が行われたことが問題になっています。

もちろん佐野氏は死亡などしていません。

知らない方の為に説明すると、佐野氏の出身校である多摩美術大学の学園祭の出し物の一つとして「佐野研二郎氏の葬式」が行われたということなんです。本人公認ならまだしも、本人の許可を取らずに勝手に死んだことにしたということで「あまりに不謹慎だ」と大きな批判を巻き起こしているわけです。

この葬式パフォーマンスには二面性があると思うんですよね。

  • リスペクト的な意味合い
  • 誹謗中傷的な意味合い

この2つの対極的の意味合いが込められたパフォーマンスだと私は思います。

リスペクトの為?

この葬式で弔辞を以下に掲載します。まずは一読ください。

本日、ここに、佐野研二郎の御霊に、謹んで、お別れの言葉を捧げます。

エンブレム問題から、早くも1年以上が経ちました。

ついに、この世を去られてしまった事は、本当に残念で、今でも信じられません。

初めて、オリンピックエンブレムを見たときは、正直、なんか、ん?と思ったのですが、それも日が経つにつれて、なんか、まあ、いいんじゃないかな、という感じになりました。

それが、まさか、こんなことになるとは…。

発表会での、あの、屈託のない笑顔、笑い、夢に出ます。

佐野研二郎先生はニャンまげやLISMO!など、素晴らしいデザインをたくさん作ってこられました。

そのデザインによって、さまざまな人たちを、幸せにされてきました。

しかし、そうやって今まで幸せにしてきたはずの人々に、裏切られた挙句、ネットにビリケンと揶揄され、全く似ていないデザインに対しても、パクリだと。

さぞかし、無念だった事でしょう。

そして、そんな状況にあるなか、そんな佳境にあるなか、私たちはただ、はたから見るだけで、守ってあげることができなかった。

それこそが私たちの、私たちの罪なのです。

佐野研二郎先生を殺したのは、紛れもなく、日本の社会であり、2ちゃんねるであり、デザイン業界であり、私たち本人なのです。

これを読む限りはリスペクト的な意味合いが強いと私は感じました。

この弔辞を書いた人は「サノケンなら死んだことも大目に見てくれるだろう」という考えがあったのだと感じます。その理由は弔辞を読み進めれば分かるように、佐野氏の作品をリスペクトしたり、行き過ぎたバッシングへの批判があるからです。

誹謗中傷の為?

その一方で、この弔辞には皮肉っぽさも感じられます。書いた本人がそのつもりでなくても読み手はそう受け取る可能性があります。その証拠に会場では笑い声もあったといいますからね。

佐野氏へエールを送る目的で明るく振舞った人もいるかも知れませんが、笑っていた観客の多くは単純に面白おかしく笑っていたのでしょう(どこの学校にもそういう人はいるわけです)。

本人無許可で死んだことにして笑い者にするというのは誹謗中傷と何ら変わらないのです。

受け取る側がネガティブなら殺人予告にもなる

佐野研二郎氏がポジティブに受け取るなら1つのコンテンツとして成立しますが、ネガティブに受け取れば殺人予告に近いものになりかねません。もし、知り合いが自分の知らないところで自分の葬式をやってたら「もしかしてアイツ、俺の事殺したいと思っているのか…?」と不安になりますからね、私の場合は。

佐野研二郎氏の盗作問題は自業自得な部分がありますが、事実無根のものもとにかく多いんですよね。炎上の発端となった五輪エンブレムが盗作でないことはほぼ確定的ですし。

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自身が蒔いた種とは言え、ある事ない事言われたり日本中からバッシングされれば、普通は人間不信になり、あらゆる言葉がネガティブに感じられるようになってしまうかもしれません。その精神状態で死んだことにされるというのはトドメを刺されるようなものだと思うんですよね。

冗談でも超えてはならないラインがあるという事を理解してもらいたいですね。

 

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