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右翼・保守の言う愛国心とは『他人の命を差し出す』ことなのか?

      2015/07/20

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「自己主張や理想の為には犠牲も仕方が無い」と右翼・保守は考えているのだろうか?

この写真は1982年に『広告批評』という雑誌のグラビアに掲載されたものである。今の安倍政権のような右翼政治を皮肉ったものだろう。なお、この「まず、総理から前線へ。」というキャッチコピーは有名コピーライターである糸井重里氏が書いたもの。

右翼がこのキャッチコピーを批判するのをネットでよく見かけるが意味が分からない。

もちろん、最高司令官である首相が前線に出るのはあり得ないことであり、この「まず、総理から前線へ。」というキャッチコピーも本気で言っているわけでは無い。本質は「自らが命を落とす覚悟が無いのに戦争を煽るな」という内容であり、無責任な政権を皮肉ったものなのである。自らは安全圏にいて他人の命を差し出そうとしているわけだからこのような批判が生まれるのは当然だ。

自己主張の為に他人の命を犠牲にする無責任な右翼・保守

全員がそうとは言わないが、安倍首相を含めた多くの右翼・保守は人命を軽視している。

今も厳しい状況が続くイスラム国人質問題だが、「テロに屈しない」と表明したことでテロリストを挑発し事態を悪化させた可能性がある。もちろん、2億ドルの身代金を払えば『人質ビジネス』が成り立ってしまうので要求を飲むべきではない。

しかし、このタイミングで「テロに屈しない」と表明することは別問題なのである。人質がとられて命の危機に晒されている状況で「テロに屈しない」と表明することがどれほど危険なことか少し考えれば分かることだ。

「テロに屈しない」と主張し挑発したと思えば、「人質を解放しろ」と要求する。支離滅裂だ。こんな交渉の仕方が通用するわけが無い。政府も馬鹿じゃないのだからそのくらい分かっているはずだ。それなのにあえて「テロに屈しない」と主張し続けるということは「自己主張の為には人質は犠牲になっても仕方が無い」という意識の表れと捉えられても仕方が無い。人質解放を最優先に考えるなら今は対立を煽る発言は控えるべきだ。

もし、私や家族が人質になったら「頼むから余計なことを言わないでくれ!」と切に願うだろう。右翼・保守のあなたや家族が人質になって、「テロに屈しない」などと身勝手な発言をしたことで命を奪われることになっても平気なのだろうか?

もし、自分や家族の命よりも「テロに屈しない」と表明することのほうが大事だと言うなら私はその考えを尊重する。

安倍支持派とのやり取り

先日、安倍支持派と思われる人とやり取りをしたのだが、「多くの国民を守る為には少数が犠牲になるのは仕方が無い」という主張だった。それに対し、私の意見は「少数の命を軽視していては、国民全員の命を守れるわけが無い」というものだ。

その人に対し「もし、自分や家族が人質になったら?」と聞いてみたところ、きちんとした返答は無かった。

つまり、他人事だから「犠牲は仕方が無い」と言えるのである。自分が命の危機に晒されれば「犠牲は仕方が無い」なんてことは言えないはずだ。

右翼・保守に当事者意識が欠けていることが問題

ほとんどの右翼・保守は当事者意識が欠けている、これが一番の問題だ。基本的に国民の大半は「他人事」なのでそれも問題なのだが、右翼・保守という立場であるのに「他人事」というのはタチが悪い。

右翼・保守は「テロに屈しない」と表明したり、中国・韓国との対立を煽ったりしているわけだが、その大半は口先だけで発言と行動が伴わない『カジュアル右翼・保守』なのである。

対立を煽っても『自衛隊がなんとかしてくれる』と思うだけで自らは何もしない。結局の所、右翼・保守の身勝手な発言で命を落とすことになるのは自衛官や人質なのである。

戦うこと望むなら自らがすぐにでも自衛隊に入隊して後に戦力になるように鍛錬すべきだ。それが出来ないのであれば戦いをけしかけるような主張はすべきではない。自己主張の為に他人の命を利用していること他ならない。

「テロに屈しない」と表明することで誰が犠牲になり誰が戦うことになるかを理解すべきだ。人命は右翼・保守の道具では無いのだ。

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