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川崎ヘイトデモ中止に追い込んだカウンターに「言論封殺だ」と言う人は『責任』という言葉を学ぶべき

   

先日、ヘイトスピーチ規制法が成立し違法化されたわけですが、ヘイトスピーチで有名な川崎デモ団体が施行日にデモを行うと警察に申請したんですよね。

警察は「要件を満たしている」としてデモを許可しました。しかし、カウンター勢力や地元住民はヘイト団体に抗議しデモを中止に追い込んだわけです。

当然、デモ支持派は「許可を貰っているのに妨害するのは言論封殺だ」と主張するわけです。

確かに、今回行われようとしていたデモにヘイトスピーチ・差別的な要素が無ければ完全な合法ですから、一見すると正当な主張かのように思えます。

しかし、彼らは「責任」という概念を全く考慮していないのです。

自由には責任が伴う事を知るべき

今回行われようとしたデモに違法性は無かったかも知れません。しかし、川崎のデモ団体は過去にヘイトスピーチ・人種差別のデモの何度も繰り返しているという前科が有ります。

となれば、「きっと今回もヘイトスピーチが行われるはずだ!」という予測がされるのは致し方ないことですよね。さらに「被害者が出る前にヘイトデモを食い止めなければ!」という予防措置をとる人が現れるのは当然の事なんですよね。

分かりやすく例えると、マナーが悪くてお店に出入り禁止される人と同じなんです。「今回はマナー良くするから入店させてよ」と言われた所で、前科があれば「そんな言葉には騙されません」と拒絶されるのは当たり前のことです。そして、迷惑客は「入店拒否する権利がお前にあるのか!」と逆ギレするわけです。

デモをする自由(権利)、お店に出入りする自由、当然誰にでもあります。逆に、違反行為、迷惑行為をした相手を拒否する自由(権利)もあるのです。

つまり、自由には責任が伴うのです。
行き過ぎた自由は自分の首を絞めることになります。

川崎のヘイト団体、ネットでヘイトスピーチをしているネトウヨたちは『責任』という言葉を学ぶべきです。

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