政治・社会問題を素人が考える

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イルカ漁は反対?賛成?文化の尊重は大事だが妥協することも必要だ

   

以前からイルカ漁は残酷だとしてオーストラリアのシーシェパードを中心にその声はますます広がりを見せている。

あなたはこの現状をどう思っているだろうか?

日本と外国、双方の主張

おそらく、「イルカ漁は日本の伝統文化だ。外国に文句を言われる筋合いはない」、「犬を食べてる国もあるじゃないか」、「食文化は互いに尊重されるべきだ」という声がほとんどだろう。実際、私もそう思っている。

しかし、一方で反対する人達の意見も分かる。イルカは人間に匹敵する知能を持つとも言われている。つまり、見方によっては人を殺して食べるのと同じなのだ。この考えは行き過ぎにしろ、食の為とはいえ人間と同じような感情を持っている動物を殺すのは抵抗があるのは当然だろう。同じく犬も人間の小さな子供程度の知能があると言われているので、犬食文化の無い日本では抵抗が大きいと思う。

また、イルカ漁に反対している一部の外国人が「養殖すればいい!」と言ってるようだが、養殖のほうが残酷だろう。感情がある動物を殺し食す為だけに育てることほど残酷なことは無い。

「残酷」の基準

「何が残酷で、何が残酷でないか?」

その線引きは難しいが、その度合いは動物によって異なるのは間違いない。そして、その度合いは「感情」で決まると私は考える。

魚介類を殺したところで残酷だと思う人は少ないと思う。グロテスクという意味合いでの残酷さはあるが、感情に訴えかけるようなものはほとんどない。

一方で、イルカや犬、猫なんかもそうだろう。人間に”懐く”動物を殺すことは残酷に感じるはずだ。まるで家族や友人のように親密になったら誰であっても殺すことを躊躇してしまう。

また、多くの国でサルを食べることは無いが、これも感情的なものだろう。そのサルに感情が無くても、人間がサルに向ける感情というのは特別なものだ(姿形が人間に近いのだから)。

文化を尊重することも大事、妥協しあうことも大事

冒頭でも言ったが、それぞれの国の文化は尊重すべきだ。しかし、時代の変化に適応していくことも大切だと思う。日本には数多くの文化があったがその多くは時代の流れによって廃れ、あるいは別の姿に変わっているわけだ。

例えば、江戸時代には「晒し首」という文化があったが、やはり残酷だったのだろう。今では完全に見ることは無い。つまり、「伝統だから」という理由で必ずしも存続させる必要性は無いのだ。

文化には良いも悪いもある。反発の声が大きくなればその文化は廃れていくだろうし、むしろそうあるべきなのだろう。100人中99人が反対して、たった1人が賛成していてもそれは「世間と価値観がずれている」ことになるからだ。これは日本に限った話ではなく、犬を食べる韓国を始めとしたアジア諸国もそうだし、他の国でも同じことが言えるだろう。

日本が日本人のものである以前に、地球は地球人のものなのだ。国交が無い時代は自国中心で考えていればよかったが、今はそうはいかない時代なのだ。世界の国々と折り合いをつけて生きていくことが大事なのである。

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